もう半世紀は生きてきました。
振り返れば
なんて自己肯定感の低い人だったんだろう
と思います。
そして、その自己肯定感の低さが
周りへの態度や
子育てに
大きく影響していたんだな
と思います。
小学校の頃は、引っ込み思案で
授業中に手を上げたりできなきし、
友達に、
放課後家に帰ってから遊ぼう
って
自分から誘うことはなかなか出来なくて
誘ってくれる友達と遊んでいました。
勇気を出して、自分から誘ったら断られたりして。
交換日記とか始めた同級生をみて
そんなに仲のいい友達がいることが羨ましくて
ちょっと寂しくて
その頃
だんだんと
私なんか…という気持ちが
沸いてきたように思います。
中学校は、荒れていました。
忘れ物や、詰め襟のホックが外れているだけでも
先生からビンタがとんできて
恐かったです。
でも、先生が恐いだなんて
言えませんでした。
同級生も、急に私よりずっと大人になってしまったようで
遠い存在のようで。
その頃からでしょうか
私なんて
という思いが強くなったような気がします。
でも、その裏腹に
私だって
という思いがあって
いつも卑屈になっていたといか
格好をつけていたかというか
知ったかぶりをしたりして
本当の私を
出すことは無くなっていた気がします。
特に何か大きな失敗をしたわけではなかったと思いますが
自己肯定感が
どかーんと下がっていった頃です。
振り返れば
なんて自己肯定感の低い人だったんだろう
と思います。
そして、その自己肯定感の低さが
周りへの態度や
子育てに
大きく影響していたんだな
と思います。
小学校の頃は、引っ込み思案で
授業中に手を上げたりできなきし、
友達に、
放課後家に帰ってから遊ぼう
って
自分から誘うことはなかなか出来なくて
誘ってくれる友達と遊んでいました。
勇気を出して、自分から誘ったら断られたりして。
交換日記とか始めた同級生をみて
そんなに仲のいい友達がいることが羨ましくて
ちょっと寂しくて
その頃
だんだんと
私なんか…という気持ちが
沸いてきたように思います。
中学校は、荒れていました。
忘れ物や、詰め襟のホックが外れているだけでも
先生からビンタがとんできて
恐かったです。
でも、先生が恐いだなんて
言えませんでした。
同級生も、急に私よりずっと大人になってしまったようで
遠い存在のようで。
その頃からでしょうか
私なんて
という思いが強くなったような気がします。
でも、その裏腹に
私だって
という思いがあって
いつも卑屈になっていたといか
格好をつけていたかというか
知ったかぶりをしたりして
本当の私を
出すことは無くなっていた気がします。
特に何か大きな失敗をしたわけではなかったと思いますが
自己肯定感が
どかーんと下がっていった頃です。
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