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血便で人生を再考する

ここしばらく 自己肯定感を上げて もっといい人生送ろうと思って なんだかんだ考えていましたが もう考えてる場合じゃなくなりました なんでかって 血便出ちゃったんです💧 スキルス胃がんの疑いが出た時も 随分落ち込みましたし 不安になりました でも なんてたって 何の自覚症状もない状態だったし お医者さんにも スキルス胃がんに疑いがあるなんて 伝えられてない状態での検査で ひょんなことで知ってしまって 不安になったという 状態だったのですが 詳細はこちら↓ 5年ぶりの健康診断を受けた結果 ~スキルス胃がんの疑い?2 でもね 今回は お腹が痛くなって トイレに行ったら血便 しかも なかなかの量と 鮮血 さすがに焦りました 朝方の出来事だったので 寝ている夫を起こし 「ちょっと悪いけど見て  血便だと思うんだけど…」 眠い目をこすりながらも さすがに起きてきてくれた夫 「あーそうだね。」 冷静な夫。 変に慌てても仕方ないので とにかく医者に行くことに。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

向上心と自己肯定感と自信

先日、 「大丈夫、大丈夫」男へのいら立ちの原因は 向上心だった という記事を書きました。 向上心が出てきたってことは 自己肯定感が上がって来てるということ と思って 書いた記事だったのですが… 今日、 心屋仁之助さんのブログを読んで ???? という気持ちでいっぱいです。 ひっかかっちゃった心屋仁之助さんの記事は こちら→ ★それを認めたら終わりだ じんさんは 何もできなくなること 何もやらないことは 罪ではないんです。 だから、そんな自分を責めなくていいんです。 「自分を信じる」つまり 「自信」なのです。 0点の自分でも、素晴らしい、と。 と言っています。 この「自信」というのと 「自己肯定感」は 一緒? それとも別物? 0点の自分でも素晴らしいけど 点数アップを試みてもいい? いいよね? 点数アップができない自分を 責めることをしなければ 点数アップのために努力しても いいよね? まだまだ自分がそれを握りしめていると 思い知らされたことがあった。 まだまだ 価値を出そうとしている自分に。 どう思い知らされたんだろう… 価値を見出したっていいじゃない じんさん 好きなんだけど たまにわからなくなります。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感って上がったり下がったり-人生前半

『自己肯定感』というものを意識しただけでも 今は、ちょっといい感じな気がします。 そして 人生を振り返えると 自己肯定感って、アップダウンがあって ずっと低かったわけではないんだな と思えてきました。 みつ さんによる イラストAC からのイラスト 自己肯定感とは無縁の幼い時代 おギャーと生まれて 小学校低学年までは 「己とは」なんて全くなくて 天真爛漫だったんでしょうね。 あまり記憶のない時代です。 他者との関係性から下がり始める 高学年になると 周りは仲良しが出来上がっていくのに 前は仲の良かった子が 他の子と仲良くなっていったりして なんだか疎外感を感じて 随分とひがみ根性にまみれた頃でした。 自己肯定感が下がってきたころですね。 だだ下がりの中学生時代 入学式の日に 先生のビンタが飛んだ中学生時代 学校が怖い場所になりました。 でも怖いという気持ちに すっかり蓋をして 普通にしていました。 「私なんて」 という気持ちが一番強かった時期です。 自己肯定感だだ下がり。 小学校の頃、仲の良かった子が 中学二年生から部活に入り メキメキと輝いていきます。 憧れの人になって でも友達だから 「私だって」 という気持ちも見え隠れして ちょっと歪んでいたような。 受験を考えた時 「私だって」 という気持ちが沸き上がるけど 他の人にどう思われるか ということが気になって なるべく同じ中学校の子が行かない 高校を選びました 滑り止めの高校は、 同じ中学から受験する子は一人もいませんでした。 滑り止めに行くとなったとき 同じ中学校の子がいるなんて 絶対イヤだった。 変なプライドの塊。 一つのチャレンジで上がり始める 高校に入ると 中学校で憧れた仲の良かった友達を思い 「私だって」 という気持ちで 部活動にチャレンジ。 ちょっと自己肯定感アップ。 でも、 『自分はこれくらい』 とう設定がありました。 初心者で始まった部活動。 練習についていくのがやっと。 当然、レギュラーになんてなれないって思っていました。 それでも 一生懸命や...

「大丈夫、大丈夫」男へのいら立ちの原因はこれでした

ちょっとしたことで 「ああ、ああすればよかった…」 なんて言うと 「大丈夫、大丈夫」 という夫。 自己肯定感を上げたいと言っていた私。 その私が、 失敗を後悔して、うじうじしているのだと思った夫は 「大丈夫、大丈夫」 を連呼していました。 この言葉、何とも言えない 心のザワザワを呼び起こします。 確かに以前は 失敗したことをウジウジと考えていて 夫の 「大丈夫、大丈夫」 という言葉に 私は助けられたこともありました。 でも最近は 大丈夫って、やり過ごしてたら また同じ失敗をしちゃうじゃない!? そんなことを考えて 夫の 「大丈夫、大丈夫」 という言葉に 心がザワザワ しまいには イライラしてきました。 そんな日々のなか いろいろ気になったことを書き留めていたノートに ありました。 『人は向上したい生き物である』 確か 水島広子さんの本『自己肯定感持っていますか?』に 書かれていた言葉だと思います。 そう、 ちょっとしたことで出る 私の 「ああ、ああすればよかった…」 は 向上心から出ることばで ウジウジと悔やんでいる言葉ではなかったのです。 「大丈夫、大丈夫」男へのいら立ちの原因は 向上心だったのです。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

不安でいっぱい…自己肯定感を上げるはずが

自己固定感をあげようと思ったら なんだか ぽわ~んと 腑抜けのようになってしまった私 それは 相手をリスペクトした結果 自分もリスペクトできたから… 今までだったら こんなことじゃいけない って思ったことも 私だってがんばってる こんな私も私。 と受け入れていた。 というか 許していた。 からだと思います。 これは、 『自己肯定感が上がった』 ということなのでしょうか。 でもね、これが続いてくると 今度はなんだか不安が私を覆ってきました なんだか こんなにのんびりとした気分で過ごしていて 何か粗相してしまうのではないか。 こどものことや仕事のことで失敗してしまうのではないか って。 これって全然自己肯定感が上がってる気がしません。 さらに ちょっとしたことで 「ああ、ああすればよかった…」 なんて言うと 私が自己肯定感を上げたいと思っていることを知っている夫は 「大丈夫、大丈夫」 と、何でもいいます。 もともと この「大丈夫。大丈夫」男は そういった一面があったのですが 私が、自己肯定感を上げたいモードに入ったとたん さらに 「大丈夫、大丈夫」 と煽ってきます。 この「大丈夫、大丈夫」も 最初のうちは、 「そうだよね、そうだよ…」 と受け入れていたのですが なんとも腑に落ちない 心がザワザワします。 どんどん得たいの知れない不安に煽られて 気付けば 夜の眠りが浅くなっていました。 一晩中歯を食いしばっていたようで 肩こりがひどくなっていました。 自己肯定感を上げたつもりが 不安がいっぱいになってしまっていました。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

相手をリスペクトした結果、私は…ぽわ~ん

自己肯定感を上げようと 相手を意識的にリスペクトしてみました。 どうも私とは考え方が違うな と思ったり えっ、そんなことする? ということがあったとしても きっとそんな考えになってしまうのは 何か事情があるんだろうな とか あんなことしてしまうのには あの人にはあの人の 何か事情があるんだろうな と思うことにして 自分が困ったり 目の前で誰かが被害にあったりしていない限りは もう、それ以上は考えないようにしてみました。 そして 自分のことについても ああ、また部屋が散らかってるな とか ああ、また時間にちょっと遅れちゃった とか あっても 今日は仕事を頑張ったし 掃除はできなかったけど晩御飯は美味しいもの作れたし とか あれには間に合わなかったけど こっちはちゃんと行けたし みたいに できないこともあるけど 私ってこんなにがんばってるじゃない。 私頑張ってるよ。うん。 って感じで 自分を受け入れるようにしてみました。 そんなこんなを 1週間、2週間と続けてきたら 私の人格が なんだか変わってきました。 子どもたちには 寛容になって キレるように怒ることは かなり減ったと思います。 毎日が 穏やかに過ぎていくようになりました。 でもね なんだか 腑抜けになってしまったような 片付けしなくちゃ ってのも 時間を守らなくちゃ ってのも もっと自分を良くしようとか 収入を増やそうとか 周りからの評価を上げようとか ってことだったの思うのです。 ちょっとした野心というか。 ガツガツしたところがなくなっってしまって。 ぽわ~んとしたような ふわふわしたようのな いいんでしょうか こんな私で… 」 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

片づけのできない主婦が自己肯定感をあげると

自己肯定感を高めるということは いまのままの、ありのままの自分を受け入れるということ。 私は片づけが下手だ。 気付けば、生活に必要な部分を残して 部屋の隅ずみに 小さな荷物の山ができていく。 すぐに片づければ大したことないのだろうけど 面倒で、億劫で、 ちょっとそこへ置いておいて 後で片づけよう そう思って 部屋のあちこちに荷物の小山ができてしまう。 こんな私はだめだと思っていた。 自己肯定感の低い私は、 どうにか片づけないとと イライラして毎日を過ごしていた。 だからといって 部屋が片付くわけでもないのだけれど。 でも 自己肯定感を上げようと思って こんな私も 私なんだと 受け入れようと思った。 イライラは減った。 片づけられないけど ま、いいか。 となったので イライラは減ったけど 部屋のあちこちに もっともっと 荷物の小山ができた。 自己肯定感を上げるって こういうことなのでしょうか。 よくわからなくなてきました。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

遅刻の女王が自己肯定感を高めると

自己肯定感を高めるということは いまのままの、ありのままの自分を受け入れるということ。 私は、時間を守ることが上手くない。 何故だか、どう頑張っても 待ち合わせ時間に10分遅れてしまう。 10分遅刻の女王と呼ばれたことも(笑) 「いつも10分なら、あと10早く出たらいいじゃない」と 言われます。 私もそう思います。 でも、その時間に出られない。 そんな私を、私は嫌いです。 でも、自己肯定感の高い人は そんな私も受け入れるということ。 それって、 遅刻してもいいってこと? 遅刻しない私にはなれないってこと? よくわからなくなてきました。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感を上げたい

自己肯定感が低いと いろいろなことが起きてしまうんですって。 『自己肯定感持っていますか?』(水島広子著)によると 自己肯定感が低いと 「私なんて」と思ってしまう がんばりすぎてしまう―無理していてもやめられない 他人に振り回されてしまう 新しくなれない 嫌われてしまう 他人の言動に腹が立つ            などなど あーもう、あてはまることばかり💧 自分の中の嫌いな部分が 自己肯定感の低さからきているとは。 「私ってこんなところがすごいでしょ!」 と思えることが 自己肯定感が高いってことだと思っていたから 上のよう自分の嫌いなところを 直さないと 自己肯定感は上がらないと思っていました。 でも違うんですね。 自己肯定感が低いから 上のような 私の嫌いな私が出てくるんですね。 じゃ、自己肯定感を上げれば 私の嫌いな私は、どっかへ行ってくれるのかな。 とにかく 自己肯定感あげたい。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感2

自分のいいところはもちろん 自分のダメなところや 嫌いなところも 全部まるごと自分なんだ って 受け入れることが 自己肯定なんですって。 そんな 自分のダメなところは直さなきゃと思うし 自分の嫌いなところは、 なかなか許せないじゃないですか。 どうやったら、自己肯定感って 高められるんでしょう。    

自己肯定感

私ってこんなところがすごいでしょ♪ ってとこを見つけることが 自己肯定感を高めることなんだと思っていました。 でも、違ったみたいです。