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理不尽に怒られたときアイデンティティがないと…

心理学者 植木先生の本を読みました。 何冊か一気に読んだので どの本に書いてあったのか 分からなくなってしまったのですが。 「青年期にアイデンティティが形成されていないと  理不尽なことで怒られたときに  理不尽なことを言う相手を悪く思うのではなく    自分が悪いから怒られるのだと  思いがちになる。」 というようなことが書かれていました。 なるほど、 私が会社勤めしていたころには 何か理不尽なことがあったなら お酒を飲みながら 「部長のばかやろー」 みたいなこと 仲間とやっていたものです。 別に会社の仲間でなくてもいいんです。 愚痴を言える相手がいれば とりあえず、私が悪いんじゃなくて 「そいつが悪い」 って、一緒に言ってくれる人がいれば また次の日から頑張れていたと思います。 それができずに 「私が悪いから…」 と思ってしまう人がいるのですね。 それは辛いですね。 そして、ふと考えてみました。 上司の愚痴をこぼすことができていた私は アイデンティティがあるってこと? アイデンティティ…私にアイデンティティなんてあるの? そんなことを考えていたときに 高校の同級生に会う機会がありました。 そこで、この話をしたところ。 「大丈夫!あなたはアイデンティティありまくりだから(笑)」 う~ん、そんな反応になるとは。 自分で考えている私と 他人が考えている私は 違うかな…。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感下がりまくり

もう半世紀は生きてきました。 振り返れば なんて自己肯定感の低い人だったんだろう と思います。 そして、その自己肯定感の低さが 周りへの態度や 子育てに 大きく影響していたんだな と思います。 小学校の頃は、引っ込み思案で 授業中に手を上げたりできなきし、 友達に、 放課後家に帰ってから遊ぼう って 自分から誘うことはなかなか出来なくて 誘ってくれる友達と遊んでいました。 勇気を出して、自分から誘ったら断られたりして。 交換日記とか始めた同級生をみて そんなに仲のいい友達がいることが羨ましくて ちょっと寂しくて その頃 だんだんと 私なんか…という気持ちが 沸いてきたように思います。 中学校は、荒れていました。 忘れ物や、詰め襟のホックが外れているだけでも 先生からビンタがとんできて 恐かったです。 でも、先生が恐いだなんて 言えませんでした。 同級生も、急に私よりずっと大人になってしまったようで 遠い存在のようで。 その頃からでしょうか 私なんて という思いが強くなったような気がします。 でも、その裏腹に 私だって という思いがあって いつも卑屈になっていたといか 格好をつけていたかというか 知ったかぶりをしたりして 本当の私を 出すことは無くなっていた気がします。 特に何か大きな失敗をしたわけではなかったと思いますが 自己肯定感が どかーんと下がっていった頃です。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感2

自分のいいところはもちろん 自分のダメなところや 嫌いなところも 全部まるごと自分なんだ って 受け入れることが 自己肯定なんですって。 そんな 自分のダメなところは直さなきゃと思うし 自分の嫌いなところは、 なかなか許せないじゃないですか。 どうやったら、自己肯定感って 高められるんでしょう。    

自己肯定感

私ってこんなところがすごいでしょ♪ ってとこを見つけることが 自己肯定感を高めることなんだと思っていました。 でも、違ったみたいです。