スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(心理)が付いた投稿を表示しています

自己肯定感上げるため、相手をリスペクトしてみました

自己肯定感を上げたいと思って 相手をリスペクトする努力してみました。 まずは、自分をリスペクトするなんて なかなかできないから 相手をリスペクトすることから。 相手をリスペクトすることができるようになると 自分をリスペクトできるようになるというから やってみました。 そう ここでいうリスペクトとは 『尊敬する』というのとはちょっと違って ありのままを受け入れるということ。 条件を付けずに受け入れるということ。 私は、もともと どちらかというと、 相手のことを考えすぎてしまうきらいがあります。 例えば 先生の対応が良くないという話を聞いても 『先生もまだ2年目だからね』 とか 友達が、『理不尽でしょ』って 目の前で怒っていても 理不尽なことをしてしまった方の人の そうしてしまった理由を すぐに考えてしまうんです。 考えすぎですよね。 これでは目の前の友達のことを受け入れていません。 理不尽なことをされたと怒っている友達を まず受け入れないと。 ここ、すぐ飛ばしてしまって 友達を不愉快にさせてしまいます。 「相手もいろいろあったんじゃない?」 なんて まるで理不尽なことをした人を擁護してしまって。 ほんと、考えすぎです。 だいたい、 理不尽なことをしてしまった 今、目の前にいない人が どうしてそんなことをしてしまったのか なんてことは、 私にも、その友達にも関係ないんですから。 その理不尽なことが 今後も続くことが予想され 改善したいならば、また別ですが。 だから、私の場合は 相手をリスペクトするために まず、思考を少し手前でストップして 目の前の人に、今の会話に集中するようにしてみました。 でも、 そのままでは相手の感情に振り回せれてしまうので 冷静に冷静に 相手の言葉をオウム返しするようにしてみました。 返す言葉を、オウム返しにすると決めると 何か言わなくちゃという焦りがなくなって 少し考える時間ができました。 この時間に、相手を受け入れることが できるようになったように思います。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定案上げるためにやってみたこと

どうやったら自己肯定感はあがるのでしょう? 水島広子さんの本『自己肯定感持っていますか?』には いくつかのことが書かれていたけれど 私にもすぐに実践できそうだなと思えたことが ひとつありました。 それは、相手をリスペクトできるようになれば 自分をもリスペクト出来るようになる。 だから、まずは相手をリスペクトしてみよう というもの。 ここでいうリスペクトとは 『尊敬』とは違って ありのままを受け入れるということ。 条件を付けずに受け入れるということ。 あの人は○○ができるからリスペクトする。 とか あの人は○○しないからリスペクトする。 とか あの人は○○してくれるからリスペクトする。 とかではないってこと。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト でもさ、 いやなことされたり、 別に自分には関係なかったとしても それはないんじゃない?ってことしている人を リスペクトする、受け入れるってことは 簡単ではない。 そんな、簡単には受け入れられないときは 「何か事情があるのだろうな」 と思うのだそう。 そして、その事情については 踏み込まない、詮索しない。 知らなくていい。 そう、こういった嫌なことしてくる人とか それはないんじゃない?ってことをするような 価値観の違う人のこと 深く知りたくないし、深くつながりたくない。 できれば距離を取りたい人だよね。 だから、その事情を知らなくていいってのは 助かります。 そうそう 相手をリスペクトするといっても 相手の嫌な行動を肯定するってこととは違うらしい。 そりゃそうよね。 嫌なことされたら 「やめて」 って、ちゃんと言わなくちゃ。 『罪を憎んで人を憎まず』 ということでしょうか。 そして、相手をリスペクトできるようになると 自分もリスペクトできるようになるだそう。 私の嫌いな私になってしまうのは 何か事情があるんだな と思って受け入れよう。 私の嫌いな私のことだと どんな事情があったのか 詮索したくなるけど それをやると辛くなるから 事情の内容はさておいておく。 そして 『何か事情があるのに、一生懸命、私はやっている...

『ありのままの自分を受け入れる』と『内容を肯定する』は…

自己肯定感を持っているということは ありのままの自分を受け入れるということ。 そうすると、嫌いな私も受け入れないといけない。 遅刻の女王の私 も 片づけられない私 も 受け入れないといけない ずっと 遅刻しないようになりたい 片づけられるようになりたい と思っていたのに それでいいの? 水島広子さんの本『自己肯定感持っていますか?』には 書いてありました。 『ありのまま受け入れる』ということと 『内容を肯定する』ということは イコールではない。 と。 なるほど 遅刻の女王である私は受け入れるけれど 遅刻してもいいんだ と思っていいわけではない。 片づけられない私は受け入れるけれど 片づけをしなくてもいい と思っていいわけではない。 わかったような わからないような で、そんなありのままの私を 嫌いな部分もある私を どうやって受け入れればいいんでしょう。 水島広子さんの本には 自己肯定感の上げ方についても 書いてありました。 ちょっと 実践してみています。 自分の変化が楽しみです。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

片づけのできない主婦が自己肯定感をあげると

自己肯定感を高めるということは いまのままの、ありのままの自分を受け入れるということ。 私は片づけが下手だ。 気付けば、生活に必要な部分を残して 部屋の隅ずみに 小さな荷物の山ができていく。 すぐに片づければ大したことないのだろうけど 面倒で、億劫で、 ちょっとそこへ置いておいて 後で片づけよう そう思って 部屋のあちこちに荷物の小山ができてしまう。 こんな私はだめだと思っていた。 自己肯定感の低い私は、 どうにか片づけないとと イライラして毎日を過ごしていた。 だからといって 部屋が片付くわけでもないのだけれど。 でも 自己肯定感を上げようと思って こんな私も 私なんだと 受け入れようと思った。 イライラは減った。 片づけられないけど ま、いいか。 となったので イライラは減ったけど 部屋のあちこちに もっともっと 荷物の小山ができた。 自己肯定感を上げるって こういうことなのでしょうか。 よくわからなくなてきました。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

遅刻の女王が自己肯定感を高めると

自己肯定感を高めるということは いまのままの、ありのままの自分を受け入れるということ。 私は、時間を守ることが上手くない。 何故だか、どう頑張っても 待ち合わせ時間に10分遅れてしまう。 10分遅刻の女王と呼ばれたことも(笑) 「いつも10分なら、あと10早く出たらいいじゃない」と 言われます。 私もそう思います。 でも、その時間に出られない。 そんな私を、私は嫌いです。 でも、自己肯定感の高い人は そんな私も受け入れるということ。 それって、 遅刻してもいいってこと? 遅刻しない私にはなれないってこと? よくわからなくなてきました。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

理不尽に怒られたときアイデンティティがないと…

心理学者 植木先生の本を読みました。 何冊か一気に読んだので どの本に書いてあったのか 分からなくなってしまったのですが。 「青年期にアイデンティティが形成されていないと  理不尽なことで怒られたときに  理不尽なことを言う相手を悪く思うのではなく    自分が悪いから怒られるのだと  思いがちになる。」 というようなことが書かれていました。 なるほど、 私が会社勤めしていたころには 何か理不尽なことがあったなら お酒を飲みながら 「部長のばかやろー」 みたいなこと 仲間とやっていたものです。 別に会社の仲間でなくてもいいんです。 愚痴を言える相手がいれば とりあえず、私が悪いんじゃなくて 「そいつが悪い」 って、一緒に言ってくれる人がいれば また次の日から頑張れていたと思います。 それができずに 「私が悪いから…」 と思ってしまう人がいるのですね。 それは辛いですね。 そして、ふと考えてみました。 上司の愚痴をこぼすことができていた私は アイデンティティがあるってこと? アイデンティティ…私にアイデンティティなんてあるの? そんなことを考えていたときに 高校の同級生に会う機会がありました。 そこで、この話をしたところ。 「大丈夫!あなたはアイデンティティありまくりだから(笑)」 う~ん、そんな反応になるとは。 自分で考えている私と 他人が考えている私は 違うかな…。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感下がりまくり

もう半世紀は生きてきました。 振り返れば なんて自己肯定感の低い人だったんだろう と思います。 そして、その自己肯定感の低さが 周りへの態度や 子育てに 大きく影響していたんだな と思います。 小学校の頃は、引っ込み思案で 授業中に手を上げたりできなきし、 友達に、 放課後家に帰ってから遊ぼう って 自分から誘うことはなかなか出来なくて 誘ってくれる友達と遊んでいました。 勇気を出して、自分から誘ったら断られたりして。 交換日記とか始めた同級生をみて そんなに仲のいい友達がいることが羨ましくて ちょっと寂しくて その頃 だんだんと 私なんか…という気持ちが 沸いてきたように思います。 中学校は、荒れていました。 忘れ物や、詰め襟のホックが外れているだけでも 先生からビンタがとんできて 恐かったです。 でも、先生が恐いだなんて 言えませんでした。 同級生も、急に私よりずっと大人になってしまったようで 遠い存在のようで。 その頃からでしょうか 私なんて という思いが強くなったような気がします。 でも、その裏腹に 私だって という思いがあって いつも卑屈になっていたといか 格好をつけていたかというか 知ったかぶりをしたりして 本当の私を 出すことは無くなっていた気がします。 特に何か大きな失敗をしたわけではなかったと思いますが 自己肯定感が どかーんと下がっていった頃です。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感2

自分のいいところはもちろん 自分のダメなところや 嫌いなところも 全部まるごと自分なんだ って 受け入れることが 自己肯定なんですって。 そんな 自分のダメなところは直さなきゃと思うし 自分の嫌いなところは、 なかなか許せないじゃないですか。 どうやったら、自己肯定感って 高められるんでしょう。    

自己肯定感

私ってこんなところがすごいでしょ♪ ってとこを見つけることが 自己肯定感を高めることなんだと思っていました。 でも、違ったみたいです。    

優柔不断も「結論延期能力」と思えば優れた能力

メンタル落ちで体調を崩してしまった私。 もっと強くなりたい…と思って 何かいい方法はないかとネットサーフィンしてみました。 私、ホンマでっかフリークなのですが 特に心理学者の植木先生が好きです。 池田先生も、武田先生も、沢口先生も、重田先生も 好きなのですが メンタルといったら、やはり植木先生でしょ! と思いまして 植木先生に関するサイトをいろいろ読んでいました。 そこで、 名言DBリーダーたちの名言集 というHPで 植木先生のこんな名言をみつけました。 最近のアメリカの論文では「結論延期能力」というものが提唱されています。つまり、拙速な結論を出すよりも、先に延ばす能力は人材としても必要だし、メンタルヘルス的には生きる力になります。成果ももちろん上がります。これまでの常識では、決断できる人のほうが優れていると思われがちですが、心理学の最前線では優柔不断型が評価を得つつあります。 うふっ… 私、優柔不断です。 ファミレスに入っても、何を食べようか ごはんも食べたいけど、パスタもいいし 食後にはデザートも食べたいけど 食べすぎかなぁ ってか、お金あんまりないし… という具合で、注文するまでにも時間がかかるし 夕飯を作ろうと思っても ニラと白菜使いたいけど またお鍋…って文句言われそうだし 何を作ろうか、検索してみよう… って、夜の七時を回っているのに スマホ片手に献立に悩んだり 百均で便座シートカバ―を買おうと行ったら 100円の便座シートカバーが売り切れで200円のものしかない。 先日洗濯して干したときに、洗濯ばさみで留めるのを忘れたらしく 飛ばされてしまったのか無くなってしまって 洗い替えがない今、 買って帰らないと便座シートカバーを洗うことができない。 でも、100円のものもあるのに、200円…倍も出すなんて もったいない… としばし悩んだ結果 倍といったって100円の違い。 買わずに帰れば困ること必須。 やっぱり買おう、とやっと決断しました。 この決断をするまで どれほどの時間がかかったことか…。 兎に角、私は優柔不断。 そして、こんな優柔不断な自分を だめな人間と思っていました。 『自信なし』の証のように...