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自己肯定感上げるため、相手をリスペクトしてみました

自己肯定感を上げたいと思って 相手をリスペクトする努力してみました。 まずは、自分をリスペクトするなんて なかなかできないから 相手をリスペクトすることから。 相手をリスペクトすることができるようになると 自分をリスペクトできるようになるというから やってみました。 そう ここでいうリスペクトとは 『尊敬する』というのとはちょっと違って ありのままを受け入れるということ。 条件を付けずに受け入れるということ。 私は、もともと どちらかというと、 相手のことを考えすぎてしまうきらいがあります。 例えば 先生の対応が良くないという話を聞いても 『先生もまだ2年目だからね』 とか 友達が、『理不尽でしょ』って 目の前で怒っていても 理不尽なことをしてしまった方の人の そうしてしまった理由を すぐに考えてしまうんです。 考えすぎですよね。 これでは目の前の友達のことを受け入れていません。 理不尽なことをされたと怒っている友達を まず受け入れないと。 ここ、すぐ飛ばしてしまって 友達を不愉快にさせてしまいます。 「相手もいろいろあったんじゃない?」 なんて まるで理不尽なことをした人を擁護してしまって。 ほんと、考えすぎです。 だいたい、 理不尽なことをしてしまった 今、目の前にいない人が どうしてそんなことをしてしまったのか なんてことは、 私にも、その友達にも関係ないんですから。 その理不尽なことが 今後も続くことが予想され 改善したいならば、また別ですが。 だから、私の場合は 相手をリスペクトするために まず、思考を少し手前でストップして 目の前の人に、今の会話に集中するようにしてみました。 でも、 そのままでは相手の感情に振り回せれてしまうので 冷静に冷静に 相手の言葉をオウム返しするようにしてみました。 返す言葉を、オウム返しにすると決めると 何か言わなくちゃという焦りがなくなって 少し考える時間ができました。 この時間に、相手を受け入れることが できるようになったように思います。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定案上げるためにやってみたこと

どうやったら自己肯定感はあがるのでしょう? 水島広子さんの本『自己肯定感持っていますか?』には いくつかのことが書かれていたけれど 私にもすぐに実践できそうだなと思えたことが ひとつありました。 それは、相手をリスペクトできるようになれば 自分をもリスペクト出来るようになる。 だから、まずは相手をリスペクトしてみよう というもの。 ここでいうリスペクトとは 『尊敬』とは違って ありのままを受け入れるということ。 条件を付けずに受け入れるということ。 あの人は○○ができるからリスペクトする。 とか あの人は○○しないからリスペクトする。 とか あの人は○○してくれるからリスペクトする。 とかではないってこと。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト でもさ、 いやなことされたり、 別に自分には関係なかったとしても それはないんじゃない?ってことしている人を リスペクトする、受け入れるってことは 簡単ではない。 そんな、簡単には受け入れられないときは 「何か事情があるのだろうな」 と思うのだそう。 そして、その事情については 踏み込まない、詮索しない。 知らなくていい。 そう、こういった嫌なことしてくる人とか それはないんじゃない?ってことをするような 価値観の違う人のこと 深く知りたくないし、深くつながりたくない。 できれば距離を取りたい人だよね。 だから、その事情を知らなくていいってのは 助かります。 そうそう 相手をリスペクトするといっても 相手の嫌な行動を肯定するってこととは違うらしい。 そりゃそうよね。 嫌なことされたら 「やめて」 って、ちゃんと言わなくちゃ。 『罪を憎んで人を憎まず』 ということでしょうか。 そして、相手をリスペクトできるようになると 自分もリスペクトできるようになるだそう。 私の嫌いな私になってしまうのは 何か事情があるんだな と思って受け入れよう。 私の嫌いな私のことだと どんな事情があったのか 詮索したくなるけど それをやると辛くなるから 事情の内容はさておいておく。 そして 『何か事情があるのに、一生懸命、私はやっている...

『ありのままの自分を受け入れる』と『内容を肯定する』は…

自己肯定感を持っているということは ありのままの自分を受け入れるということ。 そうすると、嫌いな私も受け入れないといけない。 遅刻の女王の私 も 片づけられない私 も 受け入れないといけない ずっと 遅刻しないようになりたい 片づけられるようになりたい と思っていたのに それでいいの? 水島広子さんの本『自己肯定感持っていますか?』には 書いてありました。 『ありのまま受け入れる』ということと 『内容を肯定する』ということは イコールではない。 と。 なるほど 遅刻の女王である私は受け入れるけれど 遅刻してもいいんだ と思っていいわけではない。 片づけられない私は受け入れるけれど 片づけをしなくてもいい と思っていいわけではない。 わかったような わからないような で、そんなありのままの私を 嫌いな部分もある私を どうやって受け入れればいいんでしょう。 水島広子さんの本には 自己肯定感の上げ方についても 書いてありました。 ちょっと 実践してみています。 自分の変化が楽しみです。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感下がりまくり

もう半世紀は生きてきました。 振り返れば なんて自己肯定感の低い人だったんだろう と思います。 そして、その自己肯定感の低さが 周りへの態度や 子育てに 大きく影響していたんだな と思います。 小学校の頃は、引っ込み思案で 授業中に手を上げたりできなきし、 友達に、 放課後家に帰ってから遊ぼう って 自分から誘うことはなかなか出来なくて 誘ってくれる友達と遊んでいました。 勇気を出して、自分から誘ったら断られたりして。 交換日記とか始めた同級生をみて そんなに仲のいい友達がいることが羨ましくて ちょっと寂しくて その頃 だんだんと 私なんか…という気持ちが 沸いてきたように思います。 中学校は、荒れていました。 忘れ物や、詰め襟のホックが外れているだけでも 先生からビンタがとんできて 恐かったです。 でも、先生が恐いだなんて 言えませんでした。 同級生も、急に私よりずっと大人になってしまったようで 遠い存在のようで。 その頃からでしょうか 私なんて という思いが強くなったような気がします。 でも、その裏腹に 私だって という思いがあって いつも卑屈になっていたといか 格好をつけていたかというか 知ったかぶりをしたりして 本当の私を 出すことは無くなっていた気がします。 特に何か大きな失敗をしたわけではなかったと思いますが 自己肯定感が どかーんと下がっていった頃です。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト