スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2月, 2020の投稿を表示しています

不安でいっぱい…自己肯定感を上げるはずが

自己固定感をあげようと思ったら なんだか ぽわ~んと 腑抜けのようになってしまった私 それは 相手をリスペクトした結果 自分もリスペクトできたから… 今までだったら こんなことじゃいけない って思ったことも 私だってがんばってる こんな私も私。 と受け入れていた。 というか 許していた。 からだと思います。 これは、 『自己肯定感が上がった』 ということなのでしょうか。 でもね、これが続いてくると 今度はなんだか不安が私を覆ってきました なんだか こんなにのんびりとした気分で過ごしていて 何か粗相してしまうのではないか。 こどものことや仕事のことで失敗してしまうのではないか って。 これって全然自己肯定感が上がってる気がしません。 さらに ちょっとしたことで 「ああ、ああすればよかった…」 なんて言うと 私が自己肯定感を上げたいと思っていることを知っている夫は 「大丈夫、大丈夫」 と、何でもいいます。 もともと この「大丈夫。大丈夫」男は そういった一面があったのですが 私が、自己肯定感を上げたいモードに入ったとたん さらに 「大丈夫、大丈夫」 と煽ってきます。 この「大丈夫、大丈夫」も 最初のうちは、 「そうだよね、そうだよ…」 と受け入れていたのですが なんとも腑に落ちない 心がザワザワします。 どんどん得たいの知れない不安に煽られて 気付けば 夜の眠りが浅くなっていました。 一晩中歯を食いしばっていたようで 肩こりがひどくなっていました。 自己肯定感を上げたつもりが 不安がいっぱいになってしまっていました。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

相手をリスペクトした結果、私は…ぽわ~ん

自己肯定感を上げようと 相手を意識的にリスペクトしてみました。 どうも私とは考え方が違うな と思ったり えっ、そんなことする? ということがあったとしても きっとそんな考えになってしまうのは 何か事情があるんだろうな とか あんなことしてしまうのには あの人にはあの人の 何か事情があるんだろうな と思うことにして 自分が困ったり 目の前で誰かが被害にあったりしていない限りは もう、それ以上は考えないようにしてみました。 そして 自分のことについても ああ、また部屋が散らかってるな とか ああ、また時間にちょっと遅れちゃった とか あっても 今日は仕事を頑張ったし 掃除はできなかったけど晩御飯は美味しいもの作れたし とか あれには間に合わなかったけど こっちはちゃんと行けたし みたいに できないこともあるけど 私ってこんなにがんばってるじゃない。 私頑張ってるよ。うん。 って感じで 自分を受け入れるようにしてみました。 そんなこんなを 1週間、2週間と続けてきたら 私の人格が なんだか変わってきました。 子どもたちには 寛容になって キレるように怒ることは かなり減ったと思います。 毎日が 穏やかに過ぎていくようになりました。 でもね なんだか 腑抜けになってしまったような 片付けしなくちゃ ってのも 時間を守らなくちゃ ってのも もっと自分を良くしようとか 収入を増やそうとか 周りからの評価を上げようとか ってことだったの思うのです。 ちょっとした野心というか。 ガツガツしたところがなくなっってしまって。 ぽわ~んとしたような ふわふわしたようのな いいんでしょうか こんな私で… 」 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感上げるため、相手をリスペクトしてみました

自己肯定感を上げたいと思って 相手をリスペクトする努力してみました。 まずは、自分をリスペクトするなんて なかなかできないから 相手をリスペクトすることから。 相手をリスペクトすることができるようになると 自分をリスペクトできるようになるというから やってみました。 そう ここでいうリスペクトとは 『尊敬する』というのとはちょっと違って ありのままを受け入れるということ。 条件を付けずに受け入れるということ。 私は、もともと どちらかというと、 相手のことを考えすぎてしまうきらいがあります。 例えば 先生の対応が良くないという話を聞いても 『先生もまだ2年目だからね』 とか 友達が、『理不尽でしょ』って 目の前で怒っていても 理不尽なことをしてしまった方の人の そうしてしまった理由を すぐに考えてしまうんです。 考えすぎですよね。 これでは目の前の友達のことを受け入れていません。 理不尽なことをされたと怒っている友達を まず受け入れないと。 ここ、すぐ飛ばしてしまって 友達を不愉快にさせてしまいます。 「相手もいろいろあったんじゃない?」 なんて まるで理不尽なことをした人を擁護してしまって。 ほんと、考えすぎです。 だいたい、 理不尽なことをしてしまった 今、目の前にいない人が どうしてそんなことをしてしまったのか なんてことは、 私にも、その友達にも関係ないんですから。 その理不尽なことが 今後も続くことが予想され 改善したいならば、また別ですが。 だから、私の場合は 相手をリスペクトするために まず、思考を少し手前でストップして 目の前の人に、今の会話に集中するようにしてみました。 でも、 そのままでは相手の感情に振り回せれてしまうので 冷静に冷静に 相手の言葉をオウム返しするようにしてみました。 返す言葉を、オウム返しにすると決めると 何か言わなくちゃという焦りがなくなって 少し考える時間ができました。 この時間に、相手を受け入れることが できるようになったように思います。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定案上げるためにやってみたこと

どうやったら自己肯定感はあがるのでしょう? 水島広子さんの本『自己肯定感持っていますか?』には いくつかのことが書かれていたけれど 私にもすぐに実践できそうだなと思えたことが ひとつありました。 それは、相手をリスペクトできるようになれば 自分をもリスペクト出来るようになる。 だから、まずは相手をリスペクトしてみよう というもの。 ここでいうリスペクトとは 『尊敬』とは違って ありのままを受け入れるということ。 条件を付けずに受け入れるということ。 あの人は○○ができるからリスペクトする。 とか あの人は○○しないからリスペクトする。 とか あの人は○○してくれるからリスペクトする。 とかではないってこと。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト でもさ、 いやなことされたり、 別に自分には関係なかったとしても それはないんじゃない?ってことしている人を リスペクトする、受け入れるってことは 簡単ではない。 そんな、簡単には受け入れられないときは 「何か事情があるのだろうな」 と思うのだそう。 そして、その事情については 踏み込まない、詮索しない。 知らなくていい。 そう、こういった嫌なことしてくる人とか それはないんじゃない?ってことをするような 価値観の違う人のこと 深く知りたくないし、深くつながりたくない。 できれば距離を取りたい人だよね。 だから、その事情を知らなくていいってのは 助かります。 そうそう 相手をリスペクトするといっても 相手の嫌な行動を肯定するってこととは違うらしい。 そりゃそうよね。 嫌なことされたら 「やめて」 って、ちゃんと言わなくちゃ。 『罪を憎んで人を憎まず』 ということでしょうか。 そして、相手をリスペクトできるようになると 自分もリスペクトできるようになるだそう。 私の嫌いな私になってしまうのは 何か事情があるんだな と思って受け入れよう。 私の嫌いな私のことだと どんな事情があったのか 詮索したくなるけど それをやると辛くなるから 事情の内容はさておいておく。 そして 『何か事情があるのに、一生懸命、私はやっている

『ありのままの自分を受け入れる』と『内容を肯定する』は…

自己肯定感を持っているということは ありのままの自分を受け入れるということ。 そうすると、嫌いな私も受け入れないといけない。 遅刻の女王の私 も 片づけられない私 も 受け入れないといけない ずっと 遅刻しないようになりたい 片づけられるようになりたい と思っていたのに それでいいの? 水島広子さんの本『自己肯定感持っていますか?』には 書いてありました。 『ありのまま受け入れる』ということと 『内容を肯定する』ということは イコールではない。 と。 なるほど 遅刻の女王である私は受け入れるけれど 遅刻してもいいんだ と思っていいわけではない。 片づけられない私は受け入れるけれど 片づけをしなくてもいい と思っていいわけではない。 わかったような わからないような で、そんなありのままの私を 嫌いな部分もある私を どうやって受け入れればいいんでしょう。 水島広子さんの本には 自己肯定感の上げ方についても 書いてありました。 ちょっと 実践してみています。 自分の変化が楽しみです。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

片づけのできない主婦が自己肯定感をあげると

自己肯定感を高めるということは いまのままの、ありのままの自分を受け入れるということ。 私は片づけが下手だ。 気付けば、生活に必要な部分を残して 部屋の隅ずみに 小さな荷物の山ができていく。 すぐに片づければ大したことないのだろうけど 面倒で、億劫で、 ちょっとそこへ置いておいて 後で片づけよう そう思って 部屋のあちこちに荷物の小山ができてしまう。 こんな私はだめだと思っていた。 自己肯定感の低い私は、 どうにか片づけないとと イライラして毎日を過ごしていた。 だからといって 部屋が片付くわけでもないのだけれど。 でも 自己肯定感を上げようと思って こんな私も 私なんだと 受け入れようと思った。 イライラは減った。 片づけられないけど ま、いいか。 となったので イライラは減ったけど 部屋のあちこちに もっともっと 荷物の小山ができた。 自己肯定感を上げるって こういうことなのでしょうか。 よくわからなくなてきました。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

遅刻の女王が自己肯定感を高めると

自己肯定感を高めるということは いまのままの、ありのままの自分を受け入れるということ。 私は、時間を守ることが上手くない。 何故だか、どう頑張っても 待ち合わせ時間に10分遅れてしまう。 10分遅刻の女王と呼ばれたことも(笑) 「いつも10分なら、あと10早く出たらいいじゃない」と 言われます。 私もそう思います。 でも、その時間に出られない。 そんな私を、私は嫌いです。 でも、自己肯定感の高い人は そんな私も受け入れるということ。 それって、 遅刻してもいいってこと? 遅刻しない私にはなれないってこと? よくわからなくなてきました。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト    

自己肯定感を上げたい

自己肯定感が低いと いろいろなことが起きてしまうんですって。 『自己肯定感持っていますか?』(水島広子著)によると 自己肯定感が低いと 「私なんて」と思ってしまう がんばりすぎてしまう―無理していてもやめられない 他人に振り回されてしまう 新しくなれない 嫌われてしまう 他人の言動に腹が立つ            などなど あーもう、あてはまることばかり💧 自分の中の嫌いな部分が 自己肯定感の低さからきているとは。 「私ってこんなところがすごいでしょ!」 と思えることが 自己肯定感が高いってことだと思っていたから 上のよう自分の嫌いなところを 直さないと 自己肯定感は上がらないと思っていました。 でも違うんですね。 自己肯定感が低いから 上のような 私の嫌いな私が出てくるんですね。 じゃ、自己肯定感を上げれば 私の嫌いな私は、どっかへ行ってくれるのかな。 とにかく 自己肯定感あげたい。 きのこ さんによる イラストAC からのイラスト