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自己肯定感って上がったり下がったり-人生前半

『自己肯定感』というものを意識しただけでも
今は、ちょっといい感じな気がします。

そして

人生を振り返えると
自己肯定感って、アップダウンがあって
ずっと低かったわけではないんだな
と思えてきました。


みつさんによるイラストACからのイラスト

自己肯定感とは無縁の幼い時代

おギャーと生まれて
小学校低学年までは
「己とは」なんて全くなくて
天真爛漫だったんでしょうね。
あまり記憶のない時代です。

他者との関係性から下がり始める

高学年になると
周りは仲良しが出来上がっていくのに
前は仲の良かった子が
他の子と仲良くなっていったりして
なんだか疎外感を感じて
随分とひがみ根性にまみれた頃でした。
自己肯定感が下がってきたころですね。


だだ下がりの中学生時代

入学式の日に
先生のビンタが飛んだ中学生時代

学校が怖い場所になりました。
でも怖いという気持ちに
すっかり蓋をして
普通にしていました。

「私なんて」
という気持ちが一番強かった時期です。
自己肯定感だだ下がり。


小学校の頃、仲の良かった子が
中学二年生から部活に入り
メキメキと輝いていきます。

憧れの人になって
でも友達だから
「私だって」
という気持ちも見え隠れして
ちょっと歪んでいたような。

受験を考えた時
「私だって」
という気持ちが沸き上がるけど
他の人にどう思われるか
ということが気になって
なるべく同じ中学校の子が行かない
高校を選びました

滑り止めの高校は、
同じ中学から受験する子は一人もいませんでした。
滑り止めに行くとなったとき
同じ中学校の子がいるなんて
絶対イヤだった。
変なプライドの塊。


一つのチャレンジで上がり始める

高校に入ると
中学校で憧れた仲の良かった友達を思い
「私だって」
という気持ちで
部活動にチャレンジ。

ちょっと自己肯定感アップ。

でも、
『自分はこれくらい』
とう設定がありました。


初心者で始まった部活動。
練習についていくのがやっと。
当然、レギュラーになんてなれないって思っていました。


それでも
一生懸命やっているとそれなりに上達します。
気付くと、レギュラーの次番手。

自覚はあったんです。
もうちょっと頑張ったら
「試合に出られるかも」
って。

でも、
「私が出たら、あの子は出られない」
そう思うと
心にも行動にもブレーキが。
「私なんて、これくらいがいい」

今、客観的にみると
なんて思い上がり。


そんなとき
最後の試合前に
エースが軽いケガをします。
思いがけないことが
私の口をついて出ます。

「ちゃんと治して、試合に出ないと。
 そうじゃないと、私が試合出ちゃうよ。」

目を大きく、丸くして
エースは言いました。
「もっと早く、そうなって欲しかった」


今ならわかります。
チームって、レギュラーだけが頑張っていても
だめなんです。

その後を追う選手が
レギュラーの尻に火を着けるような存在でないと。
強くなれないんです。

そんな役目を担っていた位置にいたんです。
私。

でも、当時は
「私なんて」
という気持ちがまだまだあったので
そんな位置にいると思うのは
私の思い上がりだと思っていました。

エースの言葉で
心がハッとしました。


受験を考える頃になりました。

小学校の頃は
勉強は好きじゃないから
高校出たら働いて
早く結婚して若いママになるんだって
思っていました。


でも
「私だって」
という気持ちが大きくなってきた私は
「なんだか、まだ私は何もしていない
 まだ社会人になんてなりたくない」
と思うようになりました。

大学受験することになりました。


人生初の大きな挫折 受験失敗

あま~く考えていた大学受験。
というか初めての勉強。
勉強法もわからないまま受験突入。
見事に全滅でした。

大きな大きな挫折でした。
一週間、布団から出られませんでした。
一週間ぶりに家から出た時は
太陽がまぶしくて
頭が痛くて
フラフラしました。



人生後半に続きます




きのこさんによるイラストACからのイラスト

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